東北芸術工科大学卒業生支援センター企画事業
I'm here.|「アートを生きる、アートで生きる」5つの空間
「I'm here.|心の震え、見知らぬだれかの」 宮本武典
「だいたい、巨大な妄想を抱えただけの一人の貧しい青年が(あるいは少女が)、徒手空拳で世界に向かって誠実に叫ぼうとするとき、それをそのまま──もちろん彼・彼女が幸運であればということですが──受け入れてくれるような媒体は、小説以外にそれほどたくさんはないはずです。」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』1999年/新潮社)
この村上春樹の言葉で、君は何度ともなく、挫けそうになる表現者としての誇りを奮い立たせることができる。確かに、パリで、ベルリンで、上海で、ニューヨークで、東京で、世界中のすべての街で、無力で貧しい若者たちにとって芸術表現は、世界や権力とわたり合う為の殆ど唯一の方法だった。ニッポン近代の美術教育を正統に経験することで、佐伯祐三の精神的遺児を演じ続けなければならない若きアーティストたち。義務教育のマッチョな価値観の中で、報われないマイノリティーでありつづける美大受験生たち。この同時代の、希代の小説家の言葉から、世界には君らの「声」が届けられる舞台が、きちんと用意されていることを知ってほしい。私たちは求めないわけにはいかないのだ。大衆メディアの情報に飲み込まれることなく、この時代が抱え込む混乱や痛みや欺瞞を、その孤独な人生において引き受ける人々の作品世界を。私たちの社会が真に必要とする「アーティスト」という存在を。
『I'm here.|「アートを生きる、アートで生きる」5つの空間』は、東北芸術工科大学という山形市の丘陵に建つ小さな大学で、職員・卒業生・現役学生たちの連携によって、そして何よりこの大学の若いOB/OGである出品作家たちの惜しみない協力のうちに実現した。卒業生支援センターという学内組織が主催という名目上、若いアーティストを援助するという体裁をとってはいるが、キュレイションを担当した私はまず、彼らの仕事をサポートする経験を通して、私たちスタッフ自身が、偽りなく自身を生きる方法を見出したいという気持ちで、作家たちとディスカッションを重ねた。
消費社会の虚構性を暴いてみせるタノタイガのアイロニックな実験行為と「彫刻」の奇妙な共生。フランドル絵画の闇を技法において継承しつつ、欠落をかかえてなお生き続ける野性的身体を執拗に描く本間洋。己の描画を「日本画」の特価性に盲目的に埋没させることなく、その巨大なスケールに向けられた身体的リアリティーにおいてのみ、愚直に追求する佐藤裕一郎の絵画。アートが介在するコミュニケーションへの関心を、過激なパフォーマンスから新聞のコラムというパブリックな場所へと移し、その眼差しを地域とゆるやかに結びつけつつあるスズキジュンコのアート遍路。創造行為としてのデザインを、あえてヴァナキュラーな「ものづくり」の緩やかな共同性のなかに溶解させ、日常に寄り添う造形を提案するエフスタイルの選択……。私が彼らに注文したことは、可能な限り、彼らの制作を鑑賞者に伝えたい、ついては出品作のドキュメント資料(記録映像、ドローイング、制作メモ、コンセプトテキスト、マケットなど)を提出してもらうこと、この1つだけだった。結果、本来は表面化することのないアーティストたちのパーソナルな「声」が、ストレートに共鳴しあう空間が用意された。
どんな時代でも、その一生を芸術に賭けるしか、生きる術を持たない人々がいて、たとえ無名であっても、アパートの6畳間で、厳しく切実に作品を生み出している若者たちの現在進行中の格闘がある。彼らの「声」は個人の無力さにおいて等しくささやかだが、本展のタイトル「I'm
here.」が彼らからの一方通行のメッセージではなく、観客である私たち自身の心の内において響き合う「声」であり得るのなら、それはきっと時代を動かす力にも繋がっていくだろう。私はこの企画展が、村上春樹が「幸運」と呼ぶ「心の震え」が重なり合う場となることを切に願う。そう、「アートを生きる空間」とは、見えざる同時代の「交感のネットワーク」にこそ、密やかに伝承され、力強く生き続ける。
[東北芸術工科大学学芸員]
上:タノタイガによる木彫のルイヴィトンとパフォーマンス映像|せんだいメディアテーク
下:デザインユニット「エフスタイル」(五十嵐恵美+星野若菜)によるプレゼンテーション|せんだいメディアテーク