歴史遺産学科Department of Historic Heritage

髙畑尚都|戦争遺跡の保存と活用?長野県長野市松代大本営を事例に?
長野県出身
松田俊介ゼミ

 本研究実施時点の2023年で、太平洋戦争終結後78年になる。そのため、存命の戦争経験者の減少が際立っており、今後は戦争遺跡の存在価値が今よりも高まることが見込まれる。しかし、研究実施時点で残存する戦争遺跡は戦争遺跡の保存や活用が十分になされているとは言い難い。
 本論文は聞き取り調査を主体としており、「悲劇遺産」推進側(悲劇側)2団体、「史跡」推進側(史跡側)2団体、自治体を対象に実施している。これによって悲劇側と史跡側の間には、歴史認識の解釈不一致による対立があることがわかった(図1)。なお、悲劇側は松代大本営の負の側面の周知を目的に活動し、史跡側は歴史上で重要な建築物の一つとして扱うことを目的としている。
 対立によって、1990年代は悲劇側に向けた松代町民の反対運動が活発に行われていたが、その当時運動していた人はほとんどが亡くなってしまったため、転じて無関心化が進行した。しかし、生じたのは悪影響だけではない。悲劇側の団体が負の側面の理解を深めてきたと同時に、松代町の住民も、自身の被害や経験を再度整理してきた実績にも注目する必要がある。生活空間の外から集まった人間の存在が、松代町民自身を客観的に見て、再考するきっかけになったのは間違いない。松代大本営は位置付け、歴史的事実に関する議論が現在も動態的に継続されている。したがって、検討され続けているという意味では、活きた戦争遺跡であると言える。加害と被害が混在し、二面性を持つ松代大本営だからこそ、一方の立場に寄らずに多角的な考え方ができ、訪れた人それぞれに異なる考えをもたらすことが可能ではないだろうか。そこでまた議論が醸成されていけば、今後も松代をめぐる歴史的関心は活きたまま残っていくと考えられる。そして、松代大本営の加害?被害の枠を超えた重厚な歴史、戦後の市民運動に真っ向から対抗した歴史という2つの歴史の継承を通して、松代町の住民が魅力を再認識する機会に繋がり、無関心化の解消にも寄与できるだろう。

1. 象山地下壕内部 筆者撮影

2. 象山地下壕内部トロッコ枕木跡 筆者撮影

3. 団体の関係図(図1) 筆者作成