手代木結友|宮城県東松島市宮戸島「貞観津波の石碑」の事実の継承
宮城県出身
柿田喜則ゼミ
本研究対象地域である宮城県宮戸島は、島内で行われた発掘調査やボーリング調査により、昔から多くの津波が襲来していたということが判明している。それを物語るように、島内には過去に発生した地震により襲来した津波の到達地点を示す「貞観津波の石碑」(図1)や津波で亡くなった方の供養のための石造の「津波供養の地蔵」(図2)が祀られている。研究対象である「貞観津波の石碑」には「これより下に住むことは危険」「地震の際は、この石碑より上に避難しなさい」という言い伝えが伴っており、2011年の東日本大震災では地域住民のほとんどがこの石碑の上にある宮戸小学校に避難したため、被害を抑えることができた。
自身が行った調査によると、この石碑が建てられた時代が貞観時代ではなく、それよりも後の慶長時代に建てられたと考えられていたり、言い伝えの内容について上記の二つの言い伝えのどちらが実際に伝わってきた言い伝えかわからなかったりしていた。そのため、この石碑について史実や歴史的背景と異なる情報や曖昧なことが伝承されてきている。本研究では、建てられた時代や言い伝えの内容について文献調査や地域住民への聞き取り調査を行い、事実を明らかにした。併せて東日本大震災の際に、石碑の伝承が防災に役に立ったのかについての調査も行った。そしてこれらの調査で明らかになったことを基に防災記録としてまとめ、今後の宮戸島の防災意識の向上のための記録の一助となることを本研究の目的とした。
文献調査の結果、建てられた時代については、時代背景から貞観時代ではなく慶長時代に建てられたのではないかと推測はできたが、資料が足りず特定までには至らなかった。地域住民への聞き取り調査では、現在伝わっている石碑の言い伝えや東日本大震災当時のことについて以外にも、地域住民の「貞観津波の石碑」や「津波供養の地蔵」、そして過去の津波の教訓を後世に伝えていきたいという想いについても知ることができた。