歴史遺産学科Department of Historic Heritage

渡邉佑夏|鮭の大助の民話類型研究 ─伝承の伝播と変化 山形県の事例より─
山形県出身
松田俊介ゼミ

目 次 妖怪伝承はなぜ生まれる?/鮭の大助譚について/伝承は変化しながら伝播する

 妖怪伝承は、なぜ生み出され、なぜ語られ続けるのだろうか。民俗誌において妖怪伝承というものは、妖怪などの怪異や不可思議な現象を題材にした話である。その中には内容が一貫しているものや、同じ妖怪の話でも話の結末が異なるものなどが存在している。伝承が生み出されるまでには様々な要因が絡んでいる。伝承が生まれた時代背景、伝播先での環境の違い、伝承に持たせた意味といった多くの要素によって伝承は形作られる。また長い年月の中で伝わる間にもその変化は起こり続ける。
 本研究では東北地域に主に伝わる「鮭の大助譚」を用いて、その伝播?変容について検討していく。鮭の大助譚はさまざまな異文があるが、そうした多様なバリエーションが含み持つ、共通したくだりを挙げると『この妖怪は、巨大な鮭の姿をしており、冬の産卵の時期に合わせて群れの長として川を上ってくる。大助は、川を上る際に「サケノオオスケ今登る」といった口上を叫び、この声を聴いたものは近いうちに死に至る、不幸な目に合うとされている。そのためにも声を聴かないために、耳を塞ぐ餅をついたり、酒盛りをして声が聞こえないようにしたり、早めに就寝してその声を聴かないように対策しなければならない。』これに加えて、人に化ける事例や、妻である小介を連れているものなど差異がある伝承も存在しているが、この伝承の中で重要視すべきなのはほぼ全ての伝承に含まれる『大助が昇る日に人々は漁をしてはいけない』という禁忌の要素を含んでいることであると考える。
 大助譚が語られ始めたと考えられる時代では鮭の獲りすぎなどの問題が多発していた。それにより鮭の産卵がうまくいかず、鮭漁の継続が危ぶまれた。鮭は冬の時期に安定して漁ができる貴重な食料源であり、神の魚と呼称する地域があるほどの存在だった。そのため人々は大助譚を広めて鮭の出産期に鮭漁を禁止する日を設けるために大助譚を生み出したのだと考察する。鮭の大助という妖怪は人々に伝わりやすく、かつ禁忌を強く認識させるために生み出された存在だったのだろう。しかし現代まで語られる間に、大助譚の役目は鮭漁の抑制から、子供に語られる昔話に変化してきた。伝承は伝播する中で加えられた様々な要因と時代の流れによって内容が変化し続ける。そしてそれは伝播先でも起こりうるものであり、それが伝承の内容が分岐する原因だと考察する。