山形県域の大形石棒からみた周辺地域との交流
安達瑛冬
山形県出身
青野友哉ゼミ
石棒とは、縄文時代の中期に著しく普及した石製品の一つで、日常生活で使用する利器等ではなく、呪術や祭祀に用いる道具の1つであったと考えられる。本研究では山形県域から出土した石棒について整理?研究を行い周辺地域との交流について検討を行った。また対象石棒は、最も普及し時期ごとの変遷も著しい中期~晩期の大形石棒とする。本研究を行うにあたり、大形石棒を形態別に分類した(図1)。大形石棒は主に無頭石棒と有頭石棒の2種類に分類することができる。
まず山形県域における大形石棒の形態変遷について研究を行った。大形石棒が本格的に普及する中期中葉~中期後葉の時期は無頭石棒が主流の時代となっている。そして、中期後葉~中期末葉になると有頭石棒が数を徐々に増やしていき、有頭石棒が主流の時代になると考えられる。また、中期までの山形県域は東北北部と似た動向を辿っている。しかし、後期に入ると東北北部では大形石棒が衰退し消滅するが、同時期に粘板岩製の石刀が隆盛するようになる。また、後期以降の東北南部では、緑泥片岩製の大形石棒などが隆盛するとされている。一方山形県域では、村山市の川口遺跡において大形石棒とともに粘板岩製の石刀の出土が確認されている(図2)。この事から、山形県域には北部と南部の2つの要素を兼ね備えた地域の存在が考えられる。
次に石棒の出土状況について研究を行った。出土状況は大きく土坑等の屋外出土、住居出土の屋内出土に分類できる。まず屋外出土例の帰属時期は中期~晩期にまとまっており、川口遺跡等で土坑内から大型の石皿と石棒がセットで出土する例が確認されている(図3)。この出土状況は他地域でも確認されており、石棒祭祀に関わる儀礼行為を表していると考えられる。屋内出土例は中期のみにまとまっている点が特徴である。後期以降に確認されなくなった要因として東北北部の影響であると考えられる。後期以降の東北北部では大型石棒が消滅するとされ、それと連動するように山形県域でも屋内祭祀が消滅する。また、北部の様に石棒自体の消滅に至らなかった要因は東北南部の影響と考えられ、東北南部では後期以降も大形石棒の出土が確認されている為、その影響で山形県域では石棒の消滅に至らなかったと考えられる。これらの事から山形県域では、2地域の要素を部分的に取り入れている点等から、地域や時期によって取捨選択がなされたと考えられる。